大仙市 刈和野の大綱引き

  ジョウヤサノー!ジョウヤサノー!
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大綱の上で見事にバランスを取りながら建元が提灯をふっている。
およそ15分に及ぶ攻防。
途中手を離しそうになりながら、息を切らしながら、
それでも何千人という人間が一つの綱をただ、引く。
見知らぬ者同士「がんばれー!」「緩めるなー!」と声を掛け合う。
その一帯感と団結感。そして4年ぶりの大勝利。
それは、今年こそは負けられない、という二日町の男たちの心意気が、
綱を通じてみんなの心に届いていたからかもしれない―。

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祭りを1カ月後に控えた1月中旬、一足早く極寒の刈和野を訪れた。

■「綱」を支える地域の農家
まず訪れたのは、
二日町に長年稲わらを提供している佐々木義実さん宅。
義実さんは「百笑村」という体験型受け入れ農家として、
地域のグリーン・ツーリズムのさきがけとしても知られている。
c0214156_1732174.jpg「このほうが美味しいから」と、
自宅で栽培している米はずっと
「はさがけ」で乾燥させている。

義実さん宅の納屋の二階には、
昨年の秋に収穫した稲わらが、
山となって積み上げられていた。

「このままでもいいんだけれど、
きれいに整えてから出すんだ。」

器具で丁寧にしごいてから
束にまとめていく。


c0214156_1734266.jpgこうして今年も、
大綱のおよそ1割にあたる
およそ800束を提供した。

義実さんの稲わらは、
他の稲わらに比べて丈夫らしく、
今年は“ケン”と呼ばれる雄綱の先端部を縛る縄に使われていた。

■技を伝え合い伝統を守る
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c0214156_16532146.jpg綱をつくる公民館の中には、
稲わらの香りが充満していた。

中は二部屋に分かれていて、
手前の部屋では五日町が、
そして、私が訪ねた二日町は、
その奥で作業をしていた。


c0214156_17142079.jpg部屋の奥には、
一段高くなったスペースがあり、
7人の男たちが横一列に並んで
一編み一編み稲わらを編んで
下に落としていく。
床のタイルの数で
綱の長さを図っているのだ。


c0214156_171562.jpg二日町(上町)が勝てば
米の値段が上がり、
五日町(下町)が勝てば豊作
と言われる刈和野の綱引き。

だが、面白いことに、
綱を編む人たちに農家はいない。
ほとんどが漁師なのだという。

綱は、正月明けからおよそ1カ月間、期間を集中して作られるため、
時間の融通の利く職業の人たちが合っているのだという。
決められているわけではないが、自然とそうなったそうだ。
42歳から77歳の二日町の男性たち。
みなでその技術を教え合いながら伝統を守ってきた。

c0214156_2048336.jpgそして、
それを支えるが女性たちだ。
農家から届いた稲わらを、
ひと束ずつ
機械で柔らかくしていく。

昔は手作業で、
ひと束ずつ叩いていたそうだ。


c0214156_21543763.jpg柔らかくなった稲わらは、
男たちが編みやすいように
丁寧にまとめられ、
部屋の隅へ積み上げられていた。

縁の下の力持ちというわけ。



c0214156_219990.jpg大綱の両脇にのびる綱を
「枝綱」という。
枝綱は、いわゆる掌で巧みに
ひねって編むやり方で作る。

枝綱作りは主に建元が行い、
ベテランになると、
こうしてカメラを向けられても
笑いながらも手元を器用に
動かすこともできるのだが、




c0214156_21162571.jpg今年から始めたという
建元の木嶋さんは、
それに四苦八苦。

数年前に息子が
祭りの実行部に加わり、
親子一緒に綱引きに関わる
木嶋さん。
「祭りの場で一緒に
酒を飲めるのが嬉しい。」

と話してくれた。
刈和野の人にとって、
父親は祭りの先輩でもある。

そんな二日町の若衆や建元たちを中心になってまとめ上げるのが、
二日町建元
佐々木栄さんc0214156_17202027.jpg
「刈和野の人にとって、
綱引きとは誇りであり幸せです。
建元という立場であっても、
常に先輩を尊敬して、
後輩には優しさをもって接する。
決していい気にならないように
気をつけています。
自分もそうして
ここまで育ててもらったからね。
綱引きは、
生きるために大事なことをいろいろ教えてくれるんですよ。」

どこの会社でもそういうのが大事でしょう、と笑った。

二日町は過去3年間負け続き。
今年こそは勝ちたいという気持ちを誰もが抱いていた。
「今までもいろいろと作戦を練ってやってきたけど、
今年はそれを若い人に全面的に託そうと思っています。
うまくいかないこともあるだろうけど、とりあえずやらせてみよう、と。
3年間、下町に観光客をとられてしまって、どうしても数で負けていたけど、
自分たちの負けをそのせいにはしたくないんです。
今年こそは勝って、
地元(二日町)の人が誇れる、満足してもらえるような祭りにしたいです。」


わたしたちにとっては、秋田の伝統の冬祭りのひとつ。
しかし、刈和野に人にとっては、プライドをかけた「真剣勝負」なのだ。

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2月10日。祭り当日。
気温が低く冷え込みながらも、風もなく穏やかな夜となった。

■祭りを灯すミニかまくら
c0214156_17473959.jpg会場に向かう途中、
せっせとミニかまくらを
作る人たちに出会った。
秋田県キャンプ協会の人たち。
会員の一人が刈和野の出身で、
ここ数年続けているそうだ。


c0214156_17452816.jpg「お祭りだから
何かしたいなと思って。」
集まっては祭りを観戦し、
お酒を飲んで楽しんでいるそう。
いろいろな人がこの祭りを愛して
集まっているのだなと思うと
嬉しくなった。


■若衆の熱気がぶつかる「押し合い」
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刈和野の大綱引きは、
かつて市の開設権を綱引きで決めていたのが由来とされている。

c0214156_19532227.jpgドップと呼ばれる
綱を結ぶ中心部に
どちらが先に綱を出すか、
その駆け引きを、
若衆らが「押し合い」という
ぶつかり合いで決めるのだ。


黄色いはちまきが二日町、赤が五日町。
まず、両町から男が1人ずつ「ジョヤサ!」と叫びながら中央に躍り出る。
5人、10人と男たちが増えて山ができると、
その中から両町1人ずつが、提灯を振りながら山の上に立ちあがる。

c0214156_19565321.jpgそして「ジョヤサ!」と叫びながら、
どちらかの陣営になだれ込み、
山が崩れたところで
ひと段落するらしい。
これを1時間ほど続ける。
こうしてお互いの士気を
高め合うのだそうだ。


■建元の背中
午後8時。
いよいよ「綱のばし」という雌綱と雄綱を結ぶ作業がはじまった。

c0214156_2033661.jpg二日町建元の佐々木栄さんが、
周囲を取り囲む人に向かって、
「みなさんの力を貸して下さい。
お願いします。」
と呼びかける。
重さ10tになる綱は、
数cm動かすにも大きな力がいる。
自分たちだけでは動かせない。

c0214156_205411.jpg「祭りの責任者・建元として、
観光客の人たちにも
失礼のないようにしたいのです。」
と栄さんは言う。

この時から、周囲も大きな声を
出すことを禁止される。


観光客らが自然と綱を手に取り、
建元の指示によって少しずつ雄綱と雌綱が近付いていく。
綱が無事に繋がるまでの間、
周囲は両町の建元たちの姿をじっと見守り続けた。

場を取り仕切る建元の姿は、とても凛々しくかっこいい。
刈和野の男の子にとっても、建元とは「憧れの存在」である。

c0214156_2027564.jpg「建元になることは、
人間として一人前になったと
認められたような気持ちだな。」

と語るのは、
建元歴25年の俵屋さん。
同じく建元の泉谷さんも
「誰でもなれるものでないから。」
と話す。

子どもたちが、憧れのまなざしでその姿を追う。「いつか自分も―。」

c0214156_20262614.jpg栄さんは言う。
「綱引きに参加するのが
“刈和野衆”なんです。
参加することで、
みんなに認められてると
感じるんです。
でも、決して威張ったり、
いい気になったりしては
いけない。」


謙虚でいることの大切さを、
栄さんは何度も口にした。


みなの上に立つことを許された「建元」という存在。
しかしそれは、その二文字の誇りを背負うと同時に、
伝統を守り続ける「責任」をも、しっかりと背負うということなのだ。


■そして―
午後9時。
大勢の刈和野衆と観光客がかたずをのんで建元の合図を待っている。
結び目を確かめ、建元たちが目で合図を交わす。
建元の一人が「それっ」と合図を出した、その瞬間。

空気が割れた。

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「ジョーヤサノ!」「ジョーヤサノ!」の掛け声にみなが一斉に綱を引く。
わたしもその列に加わり、声に合わせて力の限り綱を引いた。
建元の合図を見やる余裕などない。ただ一心に後ろへと綱を引く。

c0214156_2326286.jpg息が切れ、
背中が痛くなってきても、
絶対手を離すものか、そう思った。
栄さんたちの4年越しの想いが、
耳に届く声の力強さや
綱のあたたかい感触から
ビシビシと伝わってくる。

自分の一引きが、栄さんたちを一歩一歩勝利へと導いていく。
そんな感じがした。

途中劣勢になった。
まっすぐな商店街だが、二日町側は終盤カーブになっている場所があり、
後方を務める人たちが、
進路を確認するために一瞬綱を緩めてしまうらしいのだ。

祭り終了後、最後尾で綱を引いていた友人に話を聞くと、
「カーブでみんな戸惑って緩めてしまったんだけど、
みんなすぐ立て直せるって思ってたよ。」
と話してくれた。

なるほど。
綱を引きながら「負ける気がしない。」と感じていたのは、
わたしだけではなかったのかもしれない。

それほど今年の二日町は強かった。

c0214156_2327299.jpg勝利の瞬間、
誰もがこれで勝ったのか?!
どうなんだ?!そう思っただろう。

それほど二日町の人たちは
勝利の瞬間から遠ざかっていた。


栄さんが、何度も何度も万歳三唱を叫ぶ。

上町に稲わらを提供した佐々木義実さんも、
途中から「もしかしたら今年は勝つかもしれない。」と思い始めたという。
「こんな場所まで上町の綱がくることはなかったからな。」
嬉しそうに笑い、
「これが俺のわら。」と雄綱の先端を指さして教えてくれた。

二日町の人だけではなく、
それに関わった全ての人にとっても、待ちに待った瞬間だった。
「たかが綱引き、されど、です。」と栄さんが話してくれたことを思い出す。

「綱を愛してくれる人が増えて、綱を作る人も増えて、
みんなが刈和野の大綱引きを好きになってくれたら嬉しい。」

刈和野に生まれたものとしての誇り。
それを携えて、来年も勝ちにいきましょうよ、栄さん。
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                    今回は出張しました。県北担当 やっつ
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by akitagt | 2010-02-19 01:23 | 県南情報
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